The homing instinct

 14-2-2

つい先日の事だが、妻が友人との話しの中で、私がアメリカで産まれた事を話したそうだ。その友人から、「あなたの夫は、いつかは産まれた国に帰りたいと思っているのではないか」と言われて、家に帰って来ると、どう思ってるのか尋ねられた。もちろんいつかは、一度ぐらい長く住んでみたいと思っているよと答えておいた。
幼い頃から、父や母のアメリカ体験談を聞いたり、英語が流暢な姉や兄が子守唄を英語で歌ってくれたからか、自分がアメリカ生まれである事を、いつも強く意識していた。
思春期も、邦楽を聞く事はなかったし、洋楽ばかり聞いていた。どこに行っても仕事が出来るように、絵の仕事を始めたのも、いつかはアメリカで生活する事を意識していたかもしれない。
まさか、自分がネパールで生活するようになるようになるとは、10代までの自分には考えもつかなかったが、その覚悟の様なものが、今も役に立っていると思う。どこでも生活するのは、同じ事と思うが、どこの国でも、いろいろな考え方や習慣を持っている人がいるという事を、肌で経験出来て良かったと思っている。日本人、アメリカ人とかネパール人だからという理由で人格を括って考えると、狭量な考えに縛られてしまい窮屈な人間になってしまうような気がする。よく観察し、一人一人の境遇や背景を考える心の広さが必要だと痛感している。
しかし、ネパールに来て自分が失った事もある。それは、英語の語学力。ネパール語の単語一個につき、英単語が一個が脳から押し出されるような気がする。前回、飛行機に乗った際、「水を下さい。」という英語が出ず、「パーニ ディノス」を連発し、何で伝わらないのだろうかと真剣に考えてしまった。「それは、ネパール語」と横で、妻に笑われ、恥ずかしい思いをした。
いつか、アメリカに行く事があれば、英語を猛勉強しないといけないなぁと思う。